2009年9月9日水曜日

「生きる」ということ -飯島愛の思い出-

半年前に書いた文章です。みなさんに、ぜひ読んでほしいので、再度掲載します。


昨年の12月24日、飯島愛が亡くなった。

夕方のニュースの第一報で報じられていた。

びっくりした。

「連絡がつかない事を不審に思った友人が管理人に頼んで開けてもらったところ、部屋の中で倒れていた」

自殺?いやな感じがした。

少しして「事件性はない」との報道。

その頃、うつだった自分は、なんとも言えない気分になった。


AV女優の頃の飯島愛は、気になる存在ではなかった。どこにでもいるセクシータレント。ぽっと出のすぐ消える芸能人。そんな風に思っていたように思う。

そんな印象が変わったのは、彼女がバラエティータレントに転身してからのこと。頭が良くて、愛嬌がある女の人だなあ、と思うようになった。たぶん世間の多くも、僕と同じように感じ、彼女を支持したのだと思う。

その後、「プラトニック・ラブ」がベストセラーに。その頃から、文化人的なコメントを求められるようになっていった。普通なら、少し鼻についたりするようになるものだが、彼女の場合、それはなかった。美輪明宏さんに読んでもらって、「本当にあなたが書いているの?」と聞かれたそうだ。そうだと答え、驚かれた。「美輪さんの反応が一番うれしかった」と、その話を笑い話にしながら語る彼女に、センスの良さを感じた。

その後、彼女は順調に芸能界においてのポジションを築いていく。所属事務所の渡辺プロの50周年のパーティーか何かで、中山秀征と二人で司会する彼女を見て、とうとうここまで来たか、と思ったものだった。

そんな彼女の陰の部分が気になり始めたのはいつからだったろう?今思い出すのは、2冊目の本で、最近男日照りだ、とか、やっぱ人生金だよね、とか書いてたのを、本屋で立ち読みして、何か心がざわついたことである。彼女は何でも本音で発言し、自分をさらけ出すのが売りだったから、別に普通の発言と言えなくもないのだけれど、なにかその時は、彼女に対する同情みたいなのが湧いたのを覚えている。表面は華やかだが刹那的な芸能界で、この人は必死に頑張っているんだな、とその発言は悲痛な叫びに響いたのだった。

その認識を確かにするようになったのは、中山秀征との日曜昼の番組「ウチくる」に出るようになってからだった。そこでの彼女は、場を盛り上げる笑顔が痛々しくて、仕事が終わって一人帰る部屋ではどんな顔をしているのだろう、と思わせた。情報によると、その頃から、腎臓を悪くし、収録に遅れることが増えていったという。でも、体の問題だけじゃない、心がすごく痛んでいたのだと思う。

女の人は大変だ。ひとりの人の確かな愛情を受けられるかどうか、それで人生が決まってしまう。一時期、勝ち犬・負け犬という言葉が流行ったけれど、あの言葉は、かなりの部分真実を言い当てている。もちろん、「本当に」一人の確かな愛を勝ち取れる女性なんて、ほとんどいない。「真実の愛」なんて、そこらに転がってはいないのだ。だから、せめて外面を取り繕おうと「婚活」にいそしむ。それでも、結婚できたら幸せな方だ。

愛を受けられなかった女性は、仕事や趣味に走るのだろうけど、仕事でやりがいを得るなんて、そこらの自己啓発本が言うほど、簡単じゃない。男だって、いっぱいいっぱいなのだ。まして、男女平等なんてお題目のなかでは、激烈な努力を強いられることになり、結局体や心を害す。趣味だって、人生の空虚さを埋めるほどのものとなれば、やっぱりある種の努力を必要とする。アフターファイブの習い事なんかじゃ、心の隙間は埋められない。

彼女は、そのような大変さを、ある意味一身に体現してしまった。

死ぬ前に、自ら警察に出向いて、「寂しいんです」と相談したというエピソードは、それを、これ以上ない形で、表している。しかし、なんと、悲しく、なんと、切ない場面であろうか。

今年の1月ごろ、その時はうつは回復していたのだが、飲み屋で、その話になったことがある。「でも、俺は、前から、彼女の心の闇を感じていたよ」と言うと、親友のKは、「いや、それ、みんな分かってたよ」とさらりと言った。その時、なぜか、むかっ、とした事を覚えている。なぜだったんだろう?今、理由を考えるに、親友のその発言には、理解はあっても、共感がなかったからではないか。彼女の寂しさが自分のことのように分かってしまう自分と、そこまではいかない世間の人たち。そんな人たちが彼女を死に追いやったと言ったら言い過ぎだろうか?

AV監督の村西とおるは、ブログの追悼文のなかで、彼女の人生を「頑張っても、頑張っても、うまくいかなかった人生」だったのではないか、と言っている。30歳を過ぎ、人生の挫折を経験した自分にはこの言葉の重みがわかる。彼は、すぐ後にこうも言っている。「彼女の人と比べてたぐいまれなきは、その優しさであった」と。これを読んだ人は、あとの方のセリフにより心を動かれるのだろうけれど、私は、なぜか、まえの言葉に強く心を揺さぶられる。なぜだろうか?彼女の必死さが分かるからだろうか。彼女のさびしさがつたわってくるからだろうか。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。

「お別れの会」で、島田紳介が、祭壇の愛さんに語りかけていた。「愛!」と、まるで、兄貴のように、近所の幼馴染のように語りかける彼は、芸能界の最良の理解者だった。「芸能界で生き残るために、これから一生懸命勉強しような」との言葉に、愛さんは、真面目に応え、その大学ノートは、文字でぎっしり埋まっていたという。「父から受け継いだくよくよする性格」で、「落ち込む時は、死ぬ事まで考える」という彼は、彼女の笑顔の裏の寂しさがわかっていたに違いなく、引退の発表の際には、芸能界の人間の中で、一番に電話をかけたらしい。さぞかし、無念だったろう。そして、同時に後ろめたさも感じたのではないか、と思う。同じような「寂しさ」を感じてしまう人間として、一方は、若くして独身のまま自分の部屋で独り死に、一方は、芸能界で大成功し、結婚生活もきちんと成就させ、娘も無事嫁いだ。そう考えると、村西の、あまり認めたくない、「頑張っても、頑張っても、うまくいかなかった人生」、という言葉は、真実かもしれない。

生きることは大変だ。つらいことだ。リリー・フランキーは『東京タワー』の中で、「子供の頃は、野球選手やパイロットが『夢』、普通に生きることは、夢なんかじゃない、『あたりまえのこと』だ、と思ってた」と書いている。そう、「あたりまえのこと」。「普通の人生」。彼女は、それを誰よりも望みながら、ついに手に入れることが出来なかった。

彼女に同情するのがこの文章の目的ではない。彼女に共感すること。彼女の思いを受け継いで頑張って、生きること。希望が見えなくても、前を向いて生きていくこと。それが、僕の今の思いだ。


すっかり、長くなってしまった。

想いは、時間や空間を超える、という。僕のこの想いが彼女に届くことを願って、この文章を終わりたい。

愛さん、さようなら。そして、お疲れ様。

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