2009年9月10日木曜日

わが青春の映画たち 1

せつない映画が好きだった。

 高校生の頃の話である。

 小学生の頃、親の勧めで受験させられ入学した有名進学校(中高一貫の男子校)の生活は「暗黒」だった。もともと人見知りするたちだった俺は、中二のクラス替えで、一年の時仲良かった友達たちと全員別れてしまい、新しいクラスで友達を作ることができなかった。ちょうど思春期に差し掛かったこともあり、勉強なんかに意味を見出せるわけもなく、また、入学して入った野球部も練習についていけなくて(俺は足が極端に遅く、初めのランニングでいつも一人だけ遅れてしまうのだった)、ただ学校に行き、まっすぐ家に帰り、夕方のドラマの再放送(『あぶない刑事』とか『探偵物語』とか。アニメの『ルパンⅢ世』もよく見た)を見て、夕食まで寝、夜中まで起きているという生活だった。

 俺は、活発な運動部の奴等が苦手だった。日常のつまらないことが気になり、つまづいてしてしまう自分は(「こいつのことをあだ名で呼んで良いのだろうか?」「廊下ですれ違った時どう挨拶しよう」)、「人生の中で最も楽しい時期」を明るく過ごす彼らと、「自然に」「明るく」交われるはずもなく、屈託し、劣等感の塊になった。皆が、校庭でボール遊びをしたり、友達の席へ自然に行く(何しに来たの?といわれるのが怖くないのだろうか?)休み時間は、自分の孤立が発覚するのが恐くて、廊下をうろうろしたり、水飲み場で水を飲んだりしていた。

 そんな自分が映画を良く見るようになったのは、小難しい言い方をすれば、自己のアイデンティティーを確立する為であったのだろう。何か、自分に自信が持てるものが欲しかった。あいつは何々が得意だ、と言われる存在になりたかった。いわゆる「キャラ」が欲しかったのだ。そう言えば、その頃の一番の悩みは「存在感がない」だった。「浮いてる」という言葉があるが、自分の場合、「沈んでる」だった。いや、正確には、浮いても沈んでもいない、「空気のような存在」というところだっただろう(もっとも、このような考えは多分に思い込みだった、という事は、だいぶ後になってから気づくのだけれど)。

 部活をやめたせいで、授業が終わるとすぐ学校を出るようになった自分は、帰宅するまでの間、自宅の駅前の本屋で立ち読みをするのが日課になった。須原屋という3階立ての地元では一番大きな本屋で、、文庫や新刊本、自己啓発本などを読む時だけが、灰色の現実を忘れさせてくれる唯一の時間だった。気づくと、3~4時間経っていて。夕飯の時間に間に合うよう慌てて家に帰るのだった。

 ある時、雑誌(『ぴあ』)で「名画座」というのがあるのを知った。映画館の名前ではなく、古い映画やロードショーの終わった映画を安く2本立てで安く見れる所だと知った。

 それから、映画館通いが始まった。幸い、時間はたっぷりある。お金も何とかやりくりした。

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